人柄も業務遂行能力のうちだろ

人柄と能力を分けて捉えて、人柄が優れていれば能力は大した問題じゃないみたいな言い方をGunosyか何か経由で見た。

どこかの企業でも、人柄を重視して、素晴らしい人柄の人が手柄を立てるのを待って昇進させる、みたいなことが書いてあった。

 

確かに人柄はいいに越したことはないし、素敵な人柄だったら一緒に働きたくなるかもしれないし、もはやプライベートでもべたべたしたくなって、一緒にスポーツしたり、その後スーパー銭湯に行ったりして、一緒に泊の旅行に行って、あっちの世界に行ったって後悔しないかもしれない。

 

でも、それって分けて考えることなんだろうか。

 

年功序列っていう制度を、能力主義と対立する概念として捉える向きもありますよね。確かに若くて能力が高いのに、いつも脂汗ぎとぎとで息が臭いおっさん達が役職を占領しているので昇進できない、とかは年功序列の弊害かもしれません。

 

んがぁ、能力とはその人の特徴であり、差別化されている点であり、パーソナリティを形成する1要素とかんがえると、案外年齢っていうのは、能力の1類型として分類できるんじゃないかと思うわけです。

 

例えば、人柄レベルも能力も10段階で4の50歳のおっさんと、人柄レベルも能力も10段階で4の20歳の若造がいるとします。それで、あなたは30歳だとしたら、どっちの言うことを聞きますか。どちらの意見を耳に入れやすいでしょうか。やっぱ50歳のおっさんだと思うですよね。あなたは違ったとしても、ほかの大抵の日本人は50際のおっさんのほうに耳を傾けると思うんですよね。

 

 

だから、50歳っていうのうがスペックとして評価されていたんじゃないかと。もしくは、いまも評価されうるんじゃないかと。

 

年齢がスペックとして、能力の一部のように評価されうるものだとしたら、先にあげた人柄というのも能力の一部として評価されうるのではないか。

 

また、人柄と能力というのは、別にトレードオフ関係にはない。人柄がよく能力が高い人もいる。結局は人間は人柄だと言うが、人柄レベル10で能力1の人と、人柄レベル6で能力9だったら、企業では後者が評価されるんじゃなかろうか。

 

これはマトリックス的に考えたいけど、図表がないので言葉で説明する。

第一象限:かわいい・性格良い

第二象限:かわいい・性格悪い

第三象限:ぶさいく・性格悪い

第四象限:ぶさいく・性格良い

 

第二象限と第四象限のような対立はしばしば究極の選択的なお遊びとして使われやすい。あ、違った。

 

第一象限:人柄良い・能力高い

第二象限:人柄良い・能力低い

第三象限:人柄悪い・能力低い

第四象限:人柄悪い・能力高い

 

このように、人柄が良く能力が高い人もいる。なぜそこを目指さずに、人柄だけを取り上げて、結局は人柄じゃねえの? 能力だけ高くてもダメじゃね? という話になってしまうのだろうか。かわいいし、性格良い子がいいんじゃないのか? お前は、「ぶさいく・性格良い」と「かわいい・性格悪い」という都合の良い前提を作り上げて議論しているんじゃないか。

 

そう、ボクは、女の子に生まれたら、可愛くて性格が良い子になりたい。そして、來世こそもてたい。